先輩に存在を教えていただいた「サン グラフ 1956年(S31)10月号」を入手した。鳥山新一先生ご一行が1956年8月6日から上り始め、11日(12日かもしれない)に剣が峰山頂に到達した時のことが掲載されている。サイクルかニューサイクリングで、穂高吊り尾根を背景にした確か光風社「KENKO」の宣伝写真を見た覚えがある。当時のことだから松本から5泊6日強掛かっている。松本からの道は全線未舗装で、上高地や鈴蘭への登山バスが路肩から梓川に時々転落するガードレールとてない狭い道だった(酷道の記録写真は安曇村で飽きるほど見せて貰った)。私はこの時に鳥山先生がお撮りになった記録映像は断片でしか見ていない。30数年前の平成になった頃にビデオ化されていると耳にし、これは何が何でも安曇村(現・松本市)教育委員会・村史編纂室で入手して、上高地自然教室(ビジターセンター)で放映したらどうかと考えた。当時の上高地と乗鞍と村の様子、それから村人と家並みも捉えられているからである。鳥山先生にお願いにあがったところ、詳しくお話を伺いましょうということになり、村の担当者に引き継いだ。ところがその後に担当者が代わったとかで、いつの間にか話は立ち消えになっていた。担当者に任せきりにしたことがアダになった。村長にまで話しを通していたのに惜しいことだった。私が足繁く上高地に通い始めた70年頃でも、このときの自転車一行について「見たことのネエ自転車がヘエ、ずいぶんと上がってきたズラ、まあジキうえに上がってっただ」と話す方が島々にも沢渡にもたくさん健在だった。中ノ湯の先々代からも話を聞いた覚えがある。機会があるものなら、あらためて通しで映像を見てみたい。このときの自転車にはJCAフラッグが付いている。自転車会館かJCAで保存・保管されているかもしれないということで、友人が照会したところ何処にも無いと言うことだった。原板は8mmフィルムだったそうだ。16mmだと思っていた。ビデオ化もされていた。それで今は双方ともに行方知れずになっている。事情ある秘匿ならまだしも、隠匿・死蔵されるのは実に惜しい。1956年(昭和31)の自転車による乗鞍岳登頂の記録なのである。
鳥山先生の画像は手元の雑誌「CYCLO TOURIST vol.1」のページのコピーです。この雑誌は10号で途絶えてしまった。その後「旅する自転車」に引き継がれて8冊
が刊行されたが、やはり継続はない。ランドナーの本はもう売れないのかも知れない。



鳥山先生の画像は手元の雑誌「CYCLO TOURIST vol.1」のページのコピーです。この雑誌は10号で途絶えてしまった。その後「旅する自転車」に引き継がれて8冊
が刊行されたが、やはり継続はない。ランドナーの本はもう売れないのかも知れない。


